西蒲の森は、かつて新潟の暮らしを支えたスギの森。
今、その森を循環型林業でよみがえらせています。
森を整え、育て、使い、植える ー その循環は、子どもたちの未来を守る約束です。
あなたが選ぶ製品は、家族の暮らしに温もりを届け、森を次の世代へつなぐ一歩になります。

1. 越後平野を見守ってきた成り立ちと地質
新潟県新潟市を見守るようにそびえ立つ角田山。
角田山は日本海プレートと太平洋プレートが押し合って隆起してできた山であり、地質は約1,500万年前(新第三紀)の火山岩類から成り立っています。 現在の越後平野は、氷河期以降(約1万5,000〜1万8,000年前〜)に信濃川や阿賀野川が運んだ土砂が沈降する海底を埋め立ててできた沖積平野です。つまり角田山は、越後平野がまだ海だった頃から存在しており、一説によると、かつては日本海に浮かぶ島であったとも言われています。
まさに、新潟の平野が形成される過程をゼロから見守ってきた山と言えます。

2. 信仰と伝説のルーツ
山麓の福井地区などには縄文時代の遺跡や古墳時代前期の古墳(菖蒲塚古墳など)が残り、1万年以上前から人々の営みがありました。 また、山岳信仰の霊場として修験道の山伏たちが修行を行った歴史があります。日本海側の角田浜には日蓮宗の妙光寺があり、佐渡へ流罪となった日蓮聖人が漂着した際、【七つの頭を持つ大蛇を法華経の力で退治した】という伝説が残されています。
しかし、こうした言い伝えが残るほど、古くから神聖な霊山として畏敬の念を集めていた事実を示しています。

3. 江戸時代の活気:街道と温泉
江戸時代に入ると、角田山の麓は人々の往来の拠点として栄えました。 山麓の岩室温泉は、江戸時代中期の正徳3年(1713年)に温泉場として公認されました。傷ついた雁が湯で傷を癒していたのを見て源泉が発見されたという【霊雁の湯伝説】が残っています。
この地は北国街道の宿場町として、また弥彦神社への参拝客が羽を休める場所として賑わい、角田山は多くの旅人を見守ってきました。
4. 角田山の「杉」の歴史
合板の素材となっている角田山の杉には、新潟の近代林業の明確な歴史が刻まれています。 新潟市の資料によれば、明治21年(1888年)、田村興治平という人物が木曽地方を旅したことをきっかけに、山麓の福井地区で自然林から人工林への切り替えを行い、杉の植林を本格的に始めました。 昭和40年(1965年)頃の最盛期には、山の大半が杉の木となったとされています。しかしその後、安価な外国産木材の流入により林業は衰退し、昭和43年(1968年)頃には植林が中止されました。現在活用されている角田山の杉は、かつての新潟の林業の隆盛と、先人たちが山に手をかけてきた歴史を今に伝える貴重な資源です。

5. 角田山の今
現在の角田山に植わっている木の多くは、50年以上が経過していて、まさに伐採期を迎えています。
一方で、手入れが十分にされていないことから、伐採の難易度や品質を懸念する事業者が多いことも事実です。しかしながら、今ここで循環型林業を実行しないと里山としての未来は明るくありません。
今できることから・・・という想いから、大塚住宅建材は新潟県が推進する「つなぐプロジェクト」に参画し、合板製作に着手しました。

6. あかね材
杉の質は、様々な要素により決まります。土質や降雪・降雨・風の強さなど。角田山の杉は赤身が強く、手入れが十分でないこともあり、カミキリムシの被害を受けた木が散見されます。これら材料を「あかね材」と呼称します。表面部分の食害であることが多く、木そのものの強度には影響はありません。
むしろ赤身の表情が豊かなことが多いことがわかりました。

地元の木を使って、その土地に家を造る。
古来から当たり前のようにしてきたことを、今行うことの難しさ。
今回のプロジェクトを推進していき痛感しています。
これらストーリーに共感いただき、地元の景色を守るための活動として、角田山産合板~NISHIKAN ROOTS~をリリースします。

お問い合わせは、弊社ホームページもしくはお電話にて。


